2013年07月22日

爆心地から吹く風

ほんのすぐそこに
爆心地フクシマがある。
今も立ち入れない町がある。
故郷を追われた人たちがいる。
狭い私たちの国の中に
隠されようとしている場所がある。

いつ帰れるの?
本当に帰れるの?
誰も答えてくれないんだって。
答えられる筈がない。
いつかもしれない未来に問題を先送りしている。
知らなかった。
どこにいくつ原発があるのか。
知らなかった。
どうしたらいいか見当もつかない危険なゴミが出続けていたこと。
知らなかった。
経済のために暮らしがある とはね。
暮らしのために経済があるんじゃない なんてね。
手に負えないものに寄りかかって
フクシマに押しつけられた問題。
他人事なんかじゃない。

無責任なあいつ。
わたし。
あなた。
口にする米や魚や野菜や
その産地を意識したんじゃないのか。
大気中の、雨に打たれた土の
安全を疑ったんじゃないのか。
なんてことが起きてしまったんだ!
そう思わなかった人がいるなら会ってみたい。
大変なことが起きてしまったんだ!
天災じゃない、人災だ。
それがわからない人がいるなら会ってみたい。
わたしたちは意識し続けなければならない。
起きてはいけないことが起きた。
どの国の人々よりも真剣に
切実に
何処を向いて進むべきかを問わなければならない。
技術は求められて進歩する。
だから求めなければならない。

唯一の被爆国として
核兵器の廃絶を訴えることと
何が違うのか。
重篤な原発事故を起こし
原発の抱えて来た矛盾を目の当たりにし
それに変わる道を求めることは
何か違うのか。

電力の問題は大きい。
不足しても困る、問題もあるし何より不便だし。
高騰しても困る、経済に打撃だし何より生活に直結するし。
困ることばっかりだ。
そんなことわかってる。
だからこそ求めたい。
新しい技術が進歩することを求めたい。
まず原発ありきではない道に立って。
それからじゃないのか、と
フクシマを想うとき
思う。

posted by かな at 23:53 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
生きてたようでなにより

今回の福一原発事故が、どこか他人事だったチェルノブイリ原発事故の悲惨さをようやく解らせた機会になったのではないかと。
正直、あの区域はもうダメでしょう。でも政府東電マスコミは怖くてそれが言えず、ひたすら隠す。
当てにしてはいけないこんなやつら。被害者も国民もそれを踏まえて、覚悟を決めないと。
たとえ故郷を離れようと電気代が上がろうと電気使用量制限されようと構わない。
未来を汚さないよう原発を増やさないようにしないとね。
Posted by Rai at 2013年07月23日 19:40
Raiさんも生きてるようでなにより

今更とかいわず、どうせとか諦めず
求めることを続けなければ、とか
思うんだ。

お前が何を、と言われたとしても。
私も私の思うことを。

しかし・・・あの区域はもうダメでしょうって
相変わらず過激ね・・・
そうなのかもしれない。
でもそれなら、それでも言いたい。
ダメって何だよ!
ダメってどういうことだよ!
って。

だから、そんな原発を
こうなった今も大前提で考えようなんて話は
理解に苦しむ。
無理だな。
本気で言ってんのかって話。

政党がどうしたとか誰が当選とか
そういうの抜きにして
経済的にどうとかも抜きにして
単純に原発に賛成か反対か
原発と暮らしたいかどうか。
それが答えなんじゃないのか。

たまには真面目なことを
考えてみたのであった。
Posted by かな at 2013年07月24日 00:08
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